言葉の微妙な誤用

文章がうまく書けない、あるいは自分の思いや考えを読み手に正確に伝えられないという人に共通する特徴のひとつに、言葉の誤用、それも微妙な誤用があります。完全に間違い、的外れという訳ではないのですが、微妙に意味を取り違えていて、読み手からすると言葉の使い方がズレているのです。

代筆サービススタッフが最近遭遇した例では、「私には固定観念がある。」というものがありました。前後の文脈からして、それを良い意味で使っていることは明らかなのですが、「固定観念」は本来、あまり良い意味で使う言葉ではありません。ご本人は「揺るぎない強い意思」とか「確固たる信念」とかいった意味のつもりでお使いになっているのですが、「固定観念」の「固定」や「観念」の意味を別々に理解して、自分なりにそれを組み合せて解釈し、使ってしまった結果、どうにも違和感のある文章になってしまっていました。

他にも、「差別」と「区別」「区分」の意味を混同している人がおいででした。さすがにこれは成人の場合は少ないのですが、中学生くらいの文章だと時折見かける例です。差別という言葉は、良い意味では使わないことがほとんどですが、中には商品の「差別化」などという用法で良い意味に使うこともありますから、混乱しているのでしょう。

最近の流行りでは「共有」というのもあります。元々、たとえば自転車や不動産などのモノを共同で所有するという意味でよく使われていた言葉ですが、近年は情報や体験などのコトにもよく使われるようになってきました。とくに会社組織などの仕事において共通認識を持つことの重要性に関係して、情報共有というような使い方が多用されるようになっています。それ自体はいいのですが、単に、自分が他人に何らかの情報を伝えたこと、たとえば駅までの道を教えた、新しい道具のことを教えたという程度のことまで、「情報共有した」という大仰な表現をしてしまうのです。「情報共有」という言葉を使うのは、自分と相手が何らかの共通の目的をめざして活動しているような場合に、同じ情報や認識を持っていないとマズイ、そのほうが良いというような状況が前提になっているはずです。洒落や冗談で、珍しいお菓子の味を「情報共有する」という表現をするのならともかく、何でもかんでも共有、共有と大げさに言うのは、きちんとした文章の場合、逆効果です。

こうした言葉の誤用を防ぐにはどうすれば良いのか。基本は様々な本を読むなど、まっとうな文章に数多く触れることですが、今、文章を書いているという中では間に合いません。そこで大切なのは辞書をひくことです。とくに、その用例にきちんと目を通すことです。多くの言葉にはそれが使われる典型的な状況や文脈というものがある訳で、辞書の用例を見ることでそれが理解でき、おかしな誤用を防ぐことができるはずです。