しつこいほどお尋ねを繰り返す理由

私たち、【代筆サービス】のスタッフは、代筆作業を進めるにあたって、まずお客様に詳しいお尋ねを致します。それはもう、しつこく、くどいほど、何度も何度も、また角度を変えて、アレコレとお尋ねします。
あまりのしつこさに、お客様のほうで我慢しきれず、途中でお怒りになることさえ、時にはあります。私たちスタッフとしても、お客様に嫌がられてまで、しつこくお尋ねすることは避けたいのがホンネですが、これはやめる訳には行きません。そこまでしなくても、一応の文章は作成できるのですが、それは代筆のプロとして間違っていると確信するからです。

なぜ、そこまでしつこくお尋ねを繰り返すのでしょうか?

国立大学法人・福岡教育大学の板坂耀子先生がご自身のサイトに次のようなことをお書きになっています。
(近く退官予定とのことで、そのサイトもまもなく閉鎖というようなこともお書きでしたので、すでに閲覧不可かも知れませんが、一応、アドレスを記載しておきます。ご迷惑かも知れませんが。)
http://ww1.fukuoka-edu.ac.jp/~itasaka/jugyou/daihitu.html

「実は、筆跡を確かめなくても見ただけで、代筆をした文章はわかります。のぺっとしていて書き手の顔がない。」

要するにこの点なのです、私たち【代筆サービス】スタッフが、しつこいほどのお尋ねを繰り返す理由は。
この板坂耀子先の文章は、学生が授業の感想文提出を求められて、文章を書くのが得意な学生が、友達の感想文まで代筆してやることに関する話です。代筆を頼む側ではなく、むしろ代筆する学生に対して、そういうことはしないほうがいいという忠告が趣旨です。しかし、他のあらゆる文章(もちろん純然たる学術論文などは別)で、同じようなこと、つまり代筆された文章は「のぺっとしていて書き手の顔がない」ということが言えます。

私たちも、板坂先生のお考えにまったく異論はありません。しかし、ビジネスとして代筆をしていく限りは、板坂先生のおっしゃるような文章にしないための努力、取り組みをしなければなりません。「のぺっとしていて書き手の顔がない」文章にしないためには、どうすればいいのか。

私たちの結論、そして信念は、作成する文章の趣旨に関係することはもちろん、それに直接関係しなくても、その人(お客様)固有の事情や考え方、極論すれば、その人の人生の来し方や行く末まで見据え、それを踏まえてできるだけ具体的に詳しく書く、少なくとも、それらを理解した上で書くということです。それは必須条件であるとさえ考えています。そしてそのための材料となる事柄はお客様にお尋ねして教えていただく他なく、しつこくクドクお尋ねを繰り返す他ないのです。

もちろん、たとえば「ワシはこったらふうに思うんだけど、ピー、君はどうかニャ~?」などと、突拍子もない文章表現にすることで、ある種の「書き手の顔」を出すことはできます。しかし、【代筆サービス】が扱う多くの文章で、そんな表現が通用するはずがないのは、言うまでもありません。

板坂先生は、同じ文章に、こうもお書きになっています。
「上手下手の問題ではないし、長い短いでもありません。安易に人に成り代わって、何か書いておきゃいいんだろ、という気持ちで書いた文章はそうなるのです。」
私たちは、「安易に人に成り代わって、何か書いておきゃいいんだろ、という気持ち」では、仕事をしていません。対等な商取引として、対価をいただいて、お客様が必要となさる文章を代筆する、お客様に成り代わって必要な文章を作成する。そのことに信念を持っているからこそ、嫌がられても面倒がられても、今日もまた、しつこくお尋ねを繰り返しています。

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